僕は、「学ぶ」という事に対して人間には必要なモノは既に備わっていて、年を重ねながらそれを見つけ出していくというイメージがある。なぜだか。

ワークショップはTry&Errorな場所だ。そこでは、考えるより先に体を動かす事ができる。体が先に動いた瞬間、自分の中に備わっているモノがチラリと見えた瞬間が重要だと思うし、すべての学びのモチベーションになるのではないだろうか。

基本的に、世の中の学問はそれぞれの視点から見た知識の体系だ。ある現象に対して学問の分野が違えば、全く別の見解が得られる。
自分の中の何かを知るために学問を使えばいいのであって、逆はあんまり効率が良いとは思えない。