おおがきビエンナーレの仕事もやっと昨日終わった。あとは事務処理だけだ。#これがめんどくさいのだか。
今回は、今までより現代美術寄りな作品が多かったので設営していてもカルチャーショック的な事が多くて面白かった。
私が卒業したIAMASという学校が考えるメディアアートと世の中のそれがどれくらい乖離しているか分らないが、やはりメディアアートはコンセプトとして「システム」が占める部分が多く、見えない部分をどう見せるか?が制作や設営の勘所になると思う。細部のクオリティはそれらを支える要素であり、最悪動いていなくても許される(許されてない?)のは、「システム」というイマジネーションの質が問題なんだろう。
しかし、現代美術は(特にインスタレーションの場合は)、その場のクオリティがすべてであり、それ自身が作品なのだ。って美術作品としてはあたりまえな事を実感した。#ちなみに、ここで現代美術って言っているのはコンピュータを使わないノンインタラクティブな作品の事です。
IAMASという学校が関係する展覧会の作品が現代美術寄りになってきているのは、面白い動向だと思うけど単に今回のビエンナーレのように地域性が求められるイベントに対して、メディアアートのトレンドが合わなくなってきていると思う。込み入った画像処理やセンサーを含んだモノは、商店街の空き店舗などには設置しにくいし、逆にシステムが簡単すぎるとゲームとの差異化に苦心しなくてはいけなくなる。これが、ICCや美術館だと補完できる部分は多い。作品を設置する側から見た意見なので偏ってますが、実際にコスト問題に跳ね返ってくるので大きな問題かと。