最近、高校の時に書いていた夢日記が出てきた。なんのことはない、ただその日見た夢を単語の羅列で記録しただけのものだ。

でも、不思議な事にそれを見ただけでその夢を思い出せる。僕にとっては、現実も夢で見たことも「過去」という点では差がない。

東南アジアのある民族は、夢のお告げで全てを決定する。結婚から、農作物の種まき、収穫の時期、家を建てること等など。毎日、寝る前に家族で夢について語り合う。そして長老みたいな人がそれについて意見や指示を述べる。
すごく素敵だと思う。家族においてのコミュニケーションとしては最高に近い。
夢とはその人が作り出す全くの認知世界である。そしてそれを話すというのは、自分と世界の関わりあい方を考えたり、見つめる作業である。普通ならば難しい作業や思考を「夢」という道具を使うことでいとも簡単に行える。
先の民族の長老の指示は日々の具体的な行動指針や心の持ち様ではなく「こんな感じの夢を見なさい」というものもある。
すばらしいアドバイスだ。夢を変えれば、その人の認知の道筋が変わる。
家族をもったら夢の話をする時間を絶対作りたいと思う。