お久しぶりです。ちょっと忙しくてブログから離れていました。忙しい時こそ、書くことが必要だと思っているんですが。。。
えーと、今日は大事な日だったので記念の日記です。

10年くらい乗っていた車を手放した。理由は単にコストの問題だ。今月車検で、17万キロを超したジェミニは乗り続けるにはかなり手を入れないとダメだ。
しかし本当にコストの問題かと言われると良く分らない。前回の車検は何の疑問も無く通した。買い換えるなんて想像もしなかった。(結構修理代が掛かったのだが)
でも今回は違って、変な話だが車から別れを告げられたような、そろそろ休ませてくれ、みたいな印象を受けてこんな事になった気がする。
僕自身は、車はメンテをちゃんとすれば20万キロは走ると確信しているし、性格としても何でも長く使う事が好きなのでいわゆる「飽きた」という訳ではないと思う。変な感じ。
都合の良い解釈をしてみると、僕は気が付かないうちに近い将来起こるであろう今の車の深刻なトラブルを予見して、それを擬人化した車からの印象として受取ったのではないだろうか。長い間同じ車に乗っていると、無意識下でも不調が分るかもしれない。
で、そこまで擬人化した人格がいなくなってしまう喪失感というのは独特で、車が去った後しばらくの間、他の人と話しができないくらいだった。自分の中の1人が居なくなってしまったような。
僕は、僕の中の合意において擬人化によって現れた彼を葬り去ったのだ。彼が機械だから、その命は永遠のような気がしていたが、彼が機械だろうが人だろうが関係なくて、彼との関係性の中に寿命は隠れている。

寿命というのは、元々あったり決められたものではなくて、発生する概念なんだと思った。