筑紫さんの番組で堀江さんがジャーナリズムに関して議論していて面白かった。堀江さんの主張は、既存のマスメディア的なジャーナリズムはもう必要ないというモノで、報道の初期段階でネットの特性を生かしその真偽や重要度のフィルターをかけ、それを潜り抜けて来たものがコンテンツとして大切な要素をもっているという感じであった。筑紫さんが、誰もが見過ごすような大切な事柄を報道するというジャーナリズムに固執して発言していたので、明らかに分が悪かった。
単にニュースとしてのスピードもネットのほうが速いし、修正や真偽自体も話し合いが出来る。そしてその話し合い(書込み)が多いものが世の中にとって注目されるモノであるし、そういった議論を繰り返しているネットの住人達はマイナーな事件や記事でも、心に引っかかるものがあれば、話題に上げるという堀江さんの論理構成にTVで見る中では、筑紫さんは反論できなかった。
私もTVや雑誌のライブドアに対するステレオタイプ(支配とか、ぶっ潰すとか)な、コピーは見ていて読者をバカにしているなぁと思う。分かりやすく書こうとし過ぎているのか、あんな事しか思いつかないのか。仮にあんな事しか思いつかない人達ばかりがジャーナリズムを語ってるとしたら業界の構造を変える必要もあると感じる。